ウエワクから膜が開ける ── 受け取られなかったものは、消えない
怒りと、許しと、それを抱く一枚|八坂圭通信 第32便
快晴です。今日も、朝が来ました。
とうとう、今日になりました。7月24日、午後2時。幕が、開きます。
でも、その前に。昨日のZoomの話をちょっと聞いてください。
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相手は、長いあいだ、慰霊ということを、真剣に考えてきた人です。
僕の記事を読んで、こう尋ねてきました。「慰霊碑のことを、詳しく聞かせてください」と。
戦争の記憶を、どう次の世代へ渡すか。ペリリュー島のことを調べ、鹿児島の知覧へも足を運び、どうやったら大切なことを残していけるのか——ずっと、真剣に、考えてきた人だそうです。
話しているうちに、僕は、この島で死んでいった、二十歳前後の兵士たちの毎日は、どんなものだったんだろう、と、想像していました。
いまの僕と、同じ、この海。この椰子の木。この日差し。風の渡る音。
赤くなる海
彼らも、朝、目を覚ましたはずなんです。お腹を空かせて。日本のことを思って。もう帰ることはできないと分かりながらも、この豊かな大自然の中で、時間を過ごしていた。そのまなざしを——。
そこまで話したとき、僕は、なぜか、涙が止まらなくなって、どうやっても、こらえることが、できませんでした。
何が、私に、乗り移ったんでしょう。この地で肉体を離れた魂が、まるで私を使っているようでした。
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彼らのほとんどは、戦って死んだのではないんです。
この島で亡くなった、十四万とも言われる若者の多くは、飢えと、マラリアで、死んでいった。二十歳やそこらで。故郷から、五千キロも離れて。生きることの喜びの、大半も、知らないまま。
そして、いまの、この世界を見て、彼らが、何を思っているか。それを感じたとき、僕の心の中に、「そりゃないだろう」という思いが、現れたんです。
いまの僕らの暮らしは、日本人としての毎日は、その人たちの死を礎にしている。その上に立っている。
それなのに、僕らは、そういう人たちがいたことを、もう、思い出しもしない。手を合わせる場所があることすら、知らずに、右だの左だのと言って、争っている。
——そんな未来のために、俺たちは、死んだのか。そりゃあ、ないだろう。
俺たちの後に続く命たちが、日本という国が、未来に向けて開かれていく——あの笑顔のために。俺たちは、ここで、何かを受け入れて、この体を、離れたんじゃなかったのか。
そう、つぶやいているような気がするんです。それを、僕も一緒に感じて、そりゃあ、ないよな、と、思ってしまう。
せめて、そういうご先祖が、いたということだけでも。手を合わせる場所が、あるということだけでも。思い出してほしい。
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でも、不思議なことに。
この島には、その「そりゃない」すら、そっと超えてしまうような、おおらかさが、あるんです。残酷なくらい。
八十年、この島に置き去りにされた魂は、いつのまにか、この土地の朗らかさに、慣れてしまって。慰霊碑の前で手を合わせると、悲壮感より先に——「若いの。そうか、お前らが、弔ってくれてるんだな。ありがとう」。そんな、大きな笑顔すら、感じてしまうんです。
怒りと、許し。「そりゃねえだろう」と、「ありがとう」。それらが、同時に、そこにある。
どれかだけにすると、嘘になってしまう。だから僕は、全部、手放さずに、持っていたいんです。
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そのZoomで、相手は、こんな話も、してくれました。
最近、絵を描くのが楽しいんだと。上手い下手ではなく、自分自身を知る道具として、白い紙に、手だけで、色を置いていく。
ある日、海を描いていたそうです。きれいな青が、ずっと、広がっていく。ところが、突然、赤が、降りてきた。なんでか分からなかったけど、と、塗ってみると、その赤が、だんだん、戦争の記憶と、つながっていくのが、分かったそうです。
海が、たくさんの命を、悲しみを、ただ受け入れて、時とともに、また、もとに戻していく。——弔ってるみたいだ、と、感じたそうです。「いまは赤が入った海だけど、時が経ったら、また、青くなっていくのかな」と、描きながら、思ったそうです。
僕は、そこに、受け取られなかった情報を、感じました。
現れなかった、先送りにされた情報は、消えることは、ないんです。少なくとも、情報熱力学では、そうなっています。ずっと昔に、誰にも受け取られないまま、置き去りにされていた情報たちが、時間をかけて、形を変えて、また、戻ってくる。Zoomの友人の場合は、絵筆が、突然、それを、伝えてきた。赤として。
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僕の家にも、ないことにされてしまっていた沈黙があります。
僕の祖母は、平壌で、日本人学校の先生をしていて、引き揚げは、命からがらだったといいます。でも、母は、その話を、ほとんど、まったくと言っていいほど、聞いていない。話がそっちへ行こうとすると、「もう、その話はやめなさい」と。
そこで、ないことにされてしまった沈黙の情報も、この宇宙では、消えたわけではないんです。
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この数ヶ月、この島には、その沈黙を、受け取りに来る人が、続きました。この通信でも、その都度、書いてきたことです。
ひとりは、福岡の、若い新聞記者。前に、〈ブツ村まで、N氏は佐賀の酒を持ってきた〉という便を書きました。第11便です。あのN氏。大叔父さんが、朝鮮半島からパラオを経て、この島のブツ村の野戦病院で、二十三歳で、マラリアで亡くなった。その同じ道を、二週間かけて、たどって、佐賀の清酒と、故郷の川の水を、慰霊碑に、持ってきてくれた人です。
もうひとりは、〈500円玉が、海を渡った〉という便に書きました。第24便。長崎に生まれ、いま千葉に暮らす、五十代の人です。大叔父さんは、十九歳で、やはり、この島の野戦病院で、亡くなりました。五百円玉貯金を、十三年。八十万円ためて、はるばる、やってきた。「一族の中で、僕だけが来られるから」と言って。
この二人、大叔父さんは、おそらく、ほぼ同じ地域の、同じ野戦病院で、亡くなった可能性が、あるんです。その子孫が、別々に、八十年後に、この島へ、手を合わせに来られた。
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受け取り直しているのは、日本人だけじゃ、ありません。
現場監督のスティーブは、オーストラリア人で、体重が、百五十キロは、ありそうな、大男です。彼の父親は、シンガポールで、日本軍の捕虜でした。だから戦後は、ずっと、日本の製品を、買わなかったそうです。そのスティーブが、先日、食事をしながら、こう言いました。
「俺の親父は日本軍の捕虜で、俺は連合国側の子だ。その俺が、いま、日本の慰霊碑を、日本人と一緒に、直している。なんだか、いい話じゃねえか」。
「そうだね」と、僕は、返しました。
みんな、先送りにされていた、あの何かを、いま、形を変えて、いろんな膜を通じて、受け取りに来ているんです。
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僕も、毎日、その膜に、触れています。
慰霊碑の屋根という、天と地を分ける膜。そこで、四十年以上、お役目を果たしてくれた、古いクイラ材を、特別に、分けてもらっています。
そこに、僕は、ここ二ヶ月、ずっと、絵を描いています。板に向き合って、コントロールするんじゃなくて、ただ、問いかけて、ちょうどいいところに、ちょうどいい柔らかさで、色を、重ねていく。
すると、その板が、ひとつの境界膜になって、立ち上がってくるものがある。僕と、この場所に漂う英霊たち——マサライ、トゥンブナ、魂たち——との間に現れる、薄い薄い、透過性のある膜です。
その膜は、怒りも、許しも、悲しみも、朗らかさも、全部、包んで、一枚に、なっていく。
見ていると、時々、怖くなります。この小さな膜の中に、途方もなく、たくさんのものが、折りたたまれている気がして。ひょっとしたら、宇宙、全部が、ここに、書き込まれているんじゃないか。そんなふうに、思えてくるんです。
作品「二度と繰り返さない永遠」
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先送りにされて、どこかの時空を漂って、そして、いま、こうして、戻ってくるものには、二つの顔が、あると思っています。
それを、この先も、見て見ぬふりして、踏み倒すことも、できる。
でも、誰かが、それに気づいて、応えて、編み直すと——それは、負債ではなく、贈り物に、変わっていく。
それを、赤として受け取った人。佐賀のお酒にして、捧げた人。五百円玉を、ためた人。「いい話じゃねえか」と笑ったスティーブ。そして、板の上に、絵として、受け取っている、僕。
新しい膜で受け取ることが、ないことにされていた、先送りにされた何かを、贈り物に、変えていく。
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88cm x 88cm 大判スカーフになります -イメージ画像-
そして、僕は、こうして生まれた絵の一枚を、布に、しました。
板のままだと、折れる。肩を包めない。でも、布なら、まとえる。体だけでなく、暮らしを、テーブルを、壁を、まとうことができます。
テーブルランナーとして -イメージ画像-
八十八センチ四方の、一枚。名前は、『二度と繰り返さない永遠』。
怒りと許し、悲しみと朗らかさ。その両方を、そっと、大きく、抱きかかえる膜。それを、あなたの肩を、そっと包む膜に、しました。
まとうことは、それを、受け取ること。受け取ることが、あの、見えない方の世界の、大切な情報を、素敵な贈り物に、します。
この一枚のプロジェクトから、僕が見ている未来は、かなり、遠いです。それが、どこへ向かっているのか——それを話すには、いや、今は、まだ、その時では、ないですね。また、別の便で、ゆっくり、書きます。
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今日、午後2時。幕があけます。Makuakeというページで。
14時ちょうどに、この通信で「号外」を出して、ページへの行き方を、ご案内します。迷子の心配は、いりません。
昨日、七月二十三日は、この国が戦争の死者を悼む祝日——リメンバランス・デイでした。手を合わせて、明日を待つ、と書きました。その明日が、今日です。
慰霊碑の屋根は、いつか、閉じるでしょう。幕は、今日、開きます。
その瞬間を、あなたと一緒に、迎えられたら、こんなに嬉しいことは、ありません。
それでは、また、後ほど。14時に。
ごきげんよう。
おかげさまです。
八坂圭
──1日、一枚。44のひかりは、こちらから。今日も、あなただけへのメッセージが届きます。





